王冠と鋤ゲーム開始

マルクス・アウレリウス

121年 – 180年 · ローマ帝国 · ドナウの冬 · 更新日

マルクス・アウレリウス(121年~180年)は161年から180年まで在位したローマ帝国の皇帝でストア派の哲学者、五賢帝最後の皇帝です。在位中にアントニヌスの疫病と、ドナウ川の向こうのゲルマン諸部族とのマルコマンニ戦争を戦い、前線の陣営でギリシア語で自分自身に宛てて書いた文章が『自省録』として伝わります。実子コンモドゥスを後継者に立てたことでもよく語られます。

生没121年 – 180年
活動地域ローマ · ドナウ前線(カルヌントゥム、ウィンドボナ)
知られていること『自省録』、五賢帝最後の皇帝
ゲーム開始167年 · 46歳 · ローマ皇帝(君主) — ドナウの冬

生涯の要約

家族

ゲームでこの人物として始めたときに一緒に登場する家族です。年は歴史記録に従い、伝わっていないものは ? としました。

続柄名前生没年備考
父マルクス・アンニウス・ウェルス? – 124年法務官。マルクスが3歳頃に死去
母ドミティア・ルキッラ生没年不詳裕福な相続人
妻ファウスティナ(小ファウスティナ)130年頃 – 175年アントニヌス・ピウスの娘。175年カッパドキアのハララで死去
共同皇帝・娘婿ルキウス・ウェルス130年 – 169年養子縁組による弟で、娘ルキッラの夫
娘ルキッラ148年頃 – 182年182年コンモドゥス暗殺の陰謀で処刑
娘アンニア・ファウスティナ151年 – ?
娘ファディッラ159年 – ?
娘コルニフィキア160年 – 212年頃カラカラの時代に殺される
息子コンモドゥス161年 – 192年180年即位、192年暗殺
息子アンニウス・ウェルス162年 – 169年169年7歳で死去

ゲームでは

167年、46歳の皇帝としてローマで始まります。ローマ帝国全体を治めていますが、国庫は東方遠征で空になり、疫病が軍団を減らし、ドナウ川の北ではマルコマンニ族とクァディ族が川の凍るのを待っています。共同皇帝ルキウス・ウェルス、妻ファウスティナ、娘ルキッラと幼いコンモドゥスがそばにいます。

最初のイベント「疫病の年」では、奴隷や剣闘士まで武装させて軍団を埋めるか、国費で葬儀を出すかを選びます。169年にはウェルスの死とルキッラの再婚、トラヤヌスのフォルムでの競売が一度にやって来て、医師ガレノスと人質の少年マルボドがこの人生に入ってきます。

分岐点は「マルコマンニア属州」です。180年の春、ウィンドボナの陣営で皇帝が熱病に打ち勝つかどうかで分かれます。史実どおりならアクイレイアの城壁、雨の奇跡、カッシウスの手紙とハララの冬を経て180年のウィンドボナで物語が終わり、熱病が去ればドナウの向こうにマルコマンニア属州を設ける別の筋へ続きます。

この人物で始める →

ボタンを押すと、このシナリオの紹介画面がすぐに開きます。ブラウザで無料で遊べるゲームで、会員登録は不要です。

よくある質問

『自省録』はいつ、どのように書かれた本ですか?

170年代のマルコマンニ戦争中、ドナウ前線の陣営でギリシア語で自分自身に宛てて書いた短い文章を集めたもので、元の題は「自分自身へ」です。全12巻で、第1巻の終わりには「クァディ族の地、グラン川のほとりにて」、第2巻の終わりには「カルヌントゥムにて」と記されています。

マルクス・アウレリウスはどのように死んだのですか?

180年3月17日、ドナウ前線で病死しました。病気の正体ははっきりせず、アントニヌスの疫病だったとする説もあり、亡くなった場所はウィンドボナ(現在のウィーン)またはシルミウムと伝わります。

コンモドゥスはマルクスの実子ですか?

はい、161年にファウスティナから生まれた実子です。それまでの五賢帝は養子によって後継者を決めましたが、マルクスは生き残った息子がいた最初の皇帝で、177年にコンモドゥスを共同皇帝に立てました。コンモドゥスは192年に暗殺されました。

参考

マルクス・アウレリウス『自省録』、カッシウス・ディオ『ローマ史』第72巻、『ローマ皇帝群像』マルクス・アウレリウス伝。

このページの生涯と家族は、一般的な歴史概説書や百科事典程度の資料をもとにまとめました。年は資料によって一、二年異なることがあります。

← ハドリアヌスコンスタンティヌス大帝 →

← 実在人物の一覧 · シナリオ25本 →