王冠と鋤ゲーム開始

ラグナル・ロズブローク

生没年不詳 · ヴァイキングと戴冠の時代 · ラグナルの船 · 更新日

ラグナル・ロズブローク(毛皮ズボンのラグナル)は9世紀スカンディナヴィアの伝説的なヴァイキングの首領です。845年にセーヌ川をさかのぼってパリを略奪し、西フランク王シャルル禿頭王から銀7000リーブラを受け取って去ったデーン人の首領「レギネルス」がしばしば彼と同一人物とされますが、生涯の大半はのちのサガが伝える物語です。サガは、彼がノーサンブリアのエッラ王に捕らえられて蛇の穴で死に、息子たちが仇を討ちにイングランドへ来たと伝えます。

生没生没年不詳
活動地域デンマーク(ヘーゼビュー) · セーヌ川とパリ · ノーサンブリア(伝承)
知られていること845年のパリ襲撃、イーヴァルとビョルンの父と伝わるヴァイキング
ゲーム開始844年 · 40歳 · ヘーゼビューの首領(騎士身分) — ラグナルの船

生涯の要約

家族

ゲームでこの人物として始めたときに一緒に登場する家族です。年は歴史記録に従い、伝わっていないものは ? としました。

続柄名前生没年備考
父シグルズ・リング生没年不詳サガが伝える伝説の王
母アールヴヒルド生没年不詳サガが伝える名
最初の妻ソーラ生没年不詳サガの「鹿のソーラ」。ゲームでは開始の九年前に死去
妻アスラウグ生没年不詳サガはシグルズとブリュンヒルドの娘と伝える
息子エイリーク生没年不詳ソーラの息子(サガ)
息子アグナル生没年不詳ソーラの息子(サガ)
息子骨なしイーヴァル生没年不詳大異教徒軍の指導者
息子鉄の脇腹のビョルン生没年不詳859年頃地中海遠征
息子ウッベ(ウッバ)生没年不詳大異教徒軍の指揮官
息子ハールヴダン生没年不詳大異教徒軍の指揮官、のちノーサンブリアに定住

ゲームでは

844年の秋、ユトランドのヘーゼビューで40歳の首領として始まります。土地はありませんが船と仲間、確かな武力があります。最初の妻ソーラが遺したエイリークとアグナル、今の妻アスラウグと歩けない長男イーヴァル、12歳のビョルン、ウッベとハールヴダンがそばにいて、漁師の息子エイヴィンドと老いた舵取りグルブランドがあなたの船に乗り込みます。

分岐点は「パリが陥落していたら」です。最初のイベント「ヘーゼビューの竜頭船」でホリク王の許しを得るか、漁師の息子まで全員を乗せると、形勢がパリのほうへ傾きます。銀を受け取って帰れば、帰りの船の疫病とホリク王の館、サネット島、ビョルンの南の海、息子たちの歌を経て865年のエッラ王の海岸までの伝承の筋が、パリを手にすればセーヌ川の冬とフランク王の洗礼の申し出へ続く別の筋が結末まで進みます。

865年にノーサンブリアの海岸で捕らえられると伝承どおり蛇の穴が待っていますが、生き延びれば大軍勢とヘーゼビューの老人へ続く別の結末があります。ゲームは年代記にあることとサガの物語を区別しており、サガ側の場面は伝承として扱います。

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よくある質問

ラグナル・ロズブロークは実在の人物ですか?

はっきりしていません。845年にパリを襲ったレギネルスはフランクの年代記に出てくる実在の人物ですが、サガのラグナルがその人なのか、9世紀の複数のヴァイキング指導者の話が一人に集まったものなのかは、学者の間でも意見が分かれます。

845年のパリ襲撃は実際にあったのですか?

はい。845年3月、デーン人の船約120隻がセーヌ川をさかのぼり、復活祭の頃パリを略奪しました。シャルル禿頭王は銀7000リーブラを支払って彼らを退かせました。ヴァイキングに金を払って襲撃をやめさせた初期の大きな例です。

蛇の穴で死んだという話は本当ですか?

『ラグナル・ロズブロークのサガ』や『ラグナルの息子たちの話』といった13世紀頃の記録が、ノーサンブリアのエッラ王が彼を蛇の穴に投げ込んだと伝えますが、同時代の記録には出てきません。伝説と見るのが一般的です。

参考

『サン・ベルタン年代記』などフランクの年代記の845年の記事、『アングロ・サクソン年代記』865~867年、サクソ・グラマティクス『デンマーク人の事績』、『ラグナル・ロズブロークのサガ』。

このページの生涯と家族は、一般的な歴史概説書や百科事典程度の資料をもとにまとめました。年は資料によって一、二年異なることがあります。

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